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お酒はいつからある?アルコールの歴史と発祥の宗教との関係

お酒 歴史

 

今回は「お酒の歴史について」紐解いていきたいと思います。

お酒の歴史について深く知ることは、人類がどのようにお酒とうまく関わってきたのかを知ることに繋がります。

 

歴史上、世界津々浦々で、人類が惹かれ続けてやまないお酒。

人類の、いや、神話の時代から、歴史は常にお酒とともにあったと言っても過言ではありません。

ご当地のお酒は民族の誇りであり、世界中に多種多様なお酒が存在しています。

 

しかし、かつて、そして今も、多くの地域でお酒は、酩酊するために飲むものではありません。

かつてお酒は貴重で、神聖なものでした。

そして現在に至るまで、水の代わりであったり、健康飲料であったりもします。

 

アミノ酸のあまり採れないパン食においては、ワインのポリフェノールが役立ちました。

人類はお酒の効用と副作用の両方に気付きながら、節制しつつ付き合ってきたのです。

 

その点、「酩酊するために飲む」(人も多くみられる)現代日本は少し特殊です。

どうしてそうなっているのでしょうか。

お酒の歴史を追ってみましょう。

ということで、
お酒はいつからある?アルコールの歴史と発祥の宗教との関係
をお送りします。

 

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考古学の時代のお酒

お酒の原酒の分類には大きく分けて醸造酒と蒸留酒があります。

錬金術の研究によって蒸留技術が広まるのは10世紀以降のことです。

 

醸造とは、お酒に不可欠なアルコールを発酵によって発生させることをいいます。

糖分を含む液体や固体に酵母(イースト)を加え、これを適温に維持させることでお酒になるのです。

 

対して蒸留は時代が下ってから考案された技法で、ここからさらにひと手間加えてアルコール濃度を高めることをいいます。

 

ワインやビール、日本酒に紹興酒などが代表的なお酒です。

一方の蒸留酒にはブランデーやウイスキー、焼酎に泡盛、ウォッカにジンにバーボン、ラムにテキーラ……と、蒸留によりアルコール度数が高くなったお酒がズラリと並びます。

 

世界最古のお酒は?

考古学上、確認できる最古のお酒は紀元前7000年頃のもので、もちろん醸造酒でした。

中国の賈湖(かこ)遺跡から出土した陶器片から、米や果実、ハチミツなどを原料とする醸造酒の成分が検出されたのです。

 

人類最古の文明が誕生した地、メソポタミア地方で見つかっているワインの痕跡(紀元前5400年頃)や、同じく板碑『モニュマン・ブルー』に造り方が描かれているビール(紀元前3000年頃)も、醸造酒ということになります。

 

世界各地で、元々糖分を含む様々なものから醸造酒が作られました。

  • ハチミツからはハチミツ酒が
  • 果実からはワイン(ブドウ)やシードル(リンゴ)などの果実酒が
  • 樹液からはプルケ(リュウゼツラン)やヤシ酒が
  • 動物の乳からは馬乳酒などが

次々と生まれていきました。

 

特に果実は皮に最初から酵母を含んでいます。

果汁を絞って貯蔵するだけでお酒になったのです。

「甘いものはまとめて置いておけばお酒になる!」

それが世界各地の古代人の共通した発明でした。

 

日本酒やビールは一味違う?

日本でも縄文時代から果実酒が作られていたことが、発酵時のガスを抜くために孔をあけた「有孔土器」の出土から分かっています。

一方、名前の出てこなかった醸造酒のうち、日本酒やビールなんかは、そのままでは原料の穀物に糖分がないので、別の工程を経て造られます。

穀物は芽が出るモヤシ状態にまで放っておけば、でんぷんを糖分に変質させてくれます。

大麦のモヤシを発酵させて造られたのが、ビールです。

よくビールのCMでどうしたこうしたと聞く麦芽とは、大麦のモヤシのことなのです。

 

一方米の場合は、発芽米のお酒もありますが、日本酒とは別の分類になります。

乾燥地帯のヨーロッパと異なり、アジアは高温多湿です。

よって、発芽させるよりお酒造りを手助けしてくれるものが、もっと身近な所にありました。

カビです。

蒸したりした米にカビを生やすと、酵素の作用がでんぷんを糖分に変質させてくれます。

カビの繁殖した米を発酵させて造られたのが、日本酒です。

 

アジアのその他の地域では、小麦の粉を丸めたものにカビを生やします。

これを米と混ぜて発酵されて造られるのが、中国の紹興酒や韓国のマッコリなどです。

よく日本酒のCMなんやらかんやらと聞く麹(こうじ)とは、カビの生えた穀物のことなのです。

穀物にカビを生やして造られた他のお酒には、ネパールのチャン(米、ヒエ、麦、トウモロコシ等)なども知られていますね。

 

・・・実は米のお酒にはその前史があります。

 

2016年に大ヒットした『あの映画』に出てくるお酒

中学校の理科でやったでんぷんの実験、覚えていますか?

唾液をジャガイモに混ぜるとでんぷんがブドウ糖になる、というものです。

つまり、米は噛み続けると甘くなるということです。

 

これをお酒造りのために古代人はやっていたわけですね。

どのように?

映画『君の名は。』はご覧になったでしょうか?

 

銭湯が空になっただとか「真知子巻き」の岸惠子さん主演の方ではなく、アニメーションの方です。

見ていないなら、おすすめです、めっちゃ名作ですよ♪

 

さて、『君の名は。』の作中には象徴的に登場するお酒があります。

主人公の一人の女の子が、巫女の儀式でお酒を造るシーンがあるのです。

 

お米を口の中で噛んで、吐き出して貯めたものを発酵させて造る「口噛み酒」・・・

作中で大きな役割を果たすあのお酒は、稲作伝来当時から受け継がれた伝統の製法によるものなのです。

神様に奉納するものなので神職である巫女が造るようになっていくわけですが、古代ではみんなで造ってみんなで回し飲みしていたかもしれません。

 

果実は取れる季節が限られます。

お酒は簡単に作れますがいつでも飲めるわけではありませんでした。

その為、原料が貯蔵でき、いつでも作れる口噛み酒が生まれたと考えられています。

 

西洋に見るお酒の発展

メソポタミア人はビールが大好きでした。

3度の食事時に飲むのは当たり前、溶かして簡易ビールにできるパンを持って旅行したとされています。

既につまみとビールを出す居酒屋まで存在していました。

 

一方のワインは高価で、たくさんは造られていなかった高級品のようです。

 

続いてビールがもたらされたのはエジプトです。

ワインに必要なブドウは王家の農園でしかつくられておらず、ここでもビールが人気でした。

ピラミッド建設の労働者にパンやタマネギ、ニンニク等と共に配給され、子供の弁当にもビールがついていた(!)そうです。

 

その後、ワインとビールはヨーロッパへと進出していきます。

ビールを押しのけてワインが一気に大流行したのは、地中海は古代ローマにおいてでした。

地中海はワインの栽培に非常に適していましたし、生水をそのまま飲むとお腹によくない地域だったので、水代わりにワインを飲むようになったのです。

 

当時のワインは香辛料の効いた甘いもので、子供はワインの水割りなどを飲んでいた(!)ようです。

 

ビールはといえば、ハチミツ酒などと共にブドウ栽培に適さない北方の野蛮人の飲み物とされ、蔑まれていました。

すでにブランド物の高級ワインが古代ローマでは出回っていたといいます。

 

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アジアに見るお酒の発展

アジアでは果実酒の発展はあまり見られません。

穀物から造られるお酒の方が、農耕民族であるアジア人には合っていたのです。

 

メインの原料は雑穀から発祥し、いまもヒマラヤで粒酒として残っています。

そして特に東アジアでは、米を原料とするように発展していきました。

先に挙げたように、粉状にした穀物を団子にして、カビを生やして麹が造られるのが一般的です。

 

しかし、米そのものにカビを生やす日本酒の麹の製法は独自のものです。

稲作自体は伝来したものだとしても、麹の製法に関しては他に見られないものなのです。

古代から日本人はお酒にすさまじいこだわりをもっていたのかもしれません。

長屋王邸出土の木簡によると、奈良時代にはすでにお酒に燗をつけたり、氷を浮かべたオンザロックで嗜んだりしていたようです。

日本酒『初心者におすすめの飲み方』は?【楽しみ方はいっぱいある!!】

 

古代から麦芽ビールも造られていましたが、やはり麦原料でも麹を加えたお酒が好まれました。

日本に中国から麦芽が入ってくると、平安時代には米麹と麦芽を両方使い、さらに仕込みに水ではなくお酒を使った「三種糟」というハイブリッドなお酒が造られたりしています。

火入れによる低温殺菌も、西洋でパスツールが発明するより300年以上前に開発されていました。

 

アジアにおいて、本格的なビールの歴史は浅いのです。

中国ではアヘン戦争後、一気に西洋人が入ってきてから根付くことになります。

東南アジアではビールがたくさん飲まれているイメージがあります。

しかし、こちらも植民地時代に大きく広まったものです。

それぞれの国での製法も、宗主国の影響を大きく受けています。

 

これはワインに関しても同様です。

ただし、早くからブドウが栽培されていたインドでは、ワインも古くから造られています。

しかしやはり上流階級の飲み物で、庶民は穀物由来のお酒を飲んでいました。

 

イスラム教が国教となってからは、お酒自体が禁止されていくことになります。

そもそも元のヒンドゥー教からして、お酒を飲むことにはあまりいい評価がありませんでした。

 

蒸留酒の誕生

8世紀にはお酒にまつわる2つの発明がなされます。

修道院でホップをビールに加える技法が生まれたのです。

これは香りや苦みを加える以上に、雑菌を抑え、澄んだ品質のいいビールを造ることに繋がりました。

 

一方、蒸留法も錬金術の研究から確立されます。

アルコール分が高くなると発酵が止まるため、従来の醸造では一定以上に度数を高めることができませんでした。

お酒を熱し、蒸発したアルコールを含む気体を集めて冷やすことで、多量のアルコールを含む液体を造り出すことができるようになったのです。

 

はっきりと蒸留酒が現れてくるのは8世紀、ブランデーです。

続いて11世紀には修道院がリキュールを造り出しました。

 

同じ頃、アイルランドではアイリッシュウイスキーが、スコットランドではスコッチウイスキーが生まれています。

ウイスキーを参考に、ロシアではウォッカが誕生しました。

これは15世紀頃と考えられています。

 

その後、17世紀にオランダでジンが造られ始めます。

アメリカ大陸に目を移すと、ラムが17世紀までに、バーボン(コーン・ウイスキー)、テキーラが18世紀にと次々に製造されるようになっていきます。

 

アジアでも中国で蒸留法が発明され、あるいはシルクロード由来で伝来し、独自の蒸留酒が発展しました。

中国大陸が元の時代、13世紀頃には白酒が造られており、日本にも伝わって15世紀に泡盛、16世紀に薩摩焼酎が飲まれていました。

 

ビールのホップ蒸留法、この2つの発明は、お酒の長期保存を可能としました。

 

南方やアジアではこのことが殊に喜ばれ、北方ではアルコール度数の高さにより体を温めることに好都合でした。

この頃から、お酒は酔うためにも飲まれるようになっていくのです。

 

蒸留酒とその原料

それぞれの原料に目をやると、ブランデーはブドウやリンゴを使っています。

リンゴのブランデーは特にカルヴァドスと呼ばれたりします。

 

ウイスキーの原料は大麦です。

ウォッカとジンは共に麦類とジャガイモなどで造られます。

バーボンはトウモロコシを主原料とし、麦類も含まれたウイスキーです。

 

テキーラはリュウゼツランを主原料とし、白酒、泡盛、焼酎は米を原料とします。

ラムはサトウキビの搾りかすをどうにか利用できないかと考えられて誕生したお酒なので違ってきますが、それぞれがかつての醸造酒の原料を使っていることが分かります。

 

ブランデーはワインやシードルの、
ウイスキー、ウォッカ、ジン、バーボンはビールの、
テキーラはプルケの、
白酒は紹興酒などの黄酒の、
泡盛と焼酎は日本酒の、
それぞれ発展形と考えられるわけです。

あまりお目にかかりませんが、馬乳酒もアルヒという蒸留酒に生まれ変わっています。

 

宗教とお酒

お酒は酩酊による気分の高揚や理性の減退をもたらします。

これは快楽であると同時に、実体のないぼんやりとした神の世界に近付く術でもありました。

 

お酒に酔って陶然となる様は神が人に乗り移る「神がかり」に不可欠とされ、お酒は神と人間の関係を円滑にならしめる神秘性を持つ「神の水」となりました。

このことは、「必要以上に飲みすぎない」ことに繋がっていました。

古代の日本では、限られためでたい「ハレの日」にだけ、奉納したもののおさがりを飲むことができたのです。

 

古代メソポタミアにおいても農業の神にお酒が捧げられたといいます。

ワインは古代ローマでは酒宴でこぼれたものが神への捧げものとなりました。

後にはキリストの血として儀式で用いられるようになります。

 

なんにせよ、お酒の飲み方というのは宗教を通じて管理されているものでした。

11世紀にはワインの製造は事業化され、修道院の独占になります。

ビールもウイスキーも、原料の麦類が税として集められた修道院で造られるようになりました。

 

日本酒も、最初は朝廷が専門の部署で造っていましたが、その力が弱まると寺院や神社の独占販売状態となりました。

これは日宋貿易で貨幣経済が生まれ、商工業が目覚ましい発達を遂げるまで続くことになります。

 

お酒のない国にお酒が入ると

酩酊効果のある実、ビンロウを噛む習慣のあるパプアニューギニア。

鎮静作用がある灌木根のエキス、カヴァのあるポリネシア。

そもそも果物も穀物も育たない地域、北極など。

意外な所では先住民アボリジニしかいなかった頃のオーストラリア。

 

これらの国々では、そもそもお酒という伝統文化が存在していませんでした。

お酒文化が急に入ってくると、そこにはお酒と神の繋がりが存在しません。

そうすると際限なくお酒を飲んでしまったりして、様々な悲劇が起こることになります。

 

一つ例を挙げましょう。

アムール川流域、シベリアの人々はもともと中国系の弱い蒸留酒をちびりちびりと少量飲む文化しかありませんでした。

しかしロシアの勢力下に入ったことで、ウォッカの洗礼を受けることになります。

強いアルコールの害は深刻で、疫病と並んで先住民の人口を減少させてしまったのです。

先に挙げたような国々でも、同様のことが起こりました。

 

酒文化の初期において、健全な発達の為には神との繋がりによる節制が根付いていなければならないのかもしれません。

次第にお酒と宗教の繋がりは薄れていくことになりますが、それまでに「飲みすぎてはいけない」という常識が出来上がっていることになるからです。

 

日本人とお酒

日本では、特に戦後、東京オリンピックの影響でバーやキャバレーが増加します。

バブル経済の下ではスナックが大繁盛しました。

バブルがはじけて以後は軽食が取れるカフェバーなど、女性一人でも気軽に入れる店が増え、チェーンの居酒屋は少し大きな駅前に必ず存在しています。

特に近年はバルなど様々な形態のお酒を飲ませる店が増加傾向にあるようです。

 

宗教観が弱いとされる現代の日本人。

他の先進国よりも、お酒に関する節制の面でも弱いと言わざるを得ません。

陽気とされるイタリア人ですら、お酒で酔っぱらうことは現代でも忌避します。

一人酒をするだけで、アルコール依存者扱いです。

 

宗教に目覚めなさいといったことではなく、そのことを自覚することが必要です。

敗戦で人と宗教との関係が断ち切られ、西洋文化で流入してきたお酒には、当然宗教との関りは存在せず……

元々お酒のなかった国で起こった、数々の悲劇と似ている——

そんな風に考えるのは、おかしいでしょうか?

毎年アルコール中毒で命を落とす若者のニュースを見るたび、ふと思うのです。

 

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

簡単にではありますが、お酒の歴史を紹介してみました。

 

世は酒につれ、酒は世につれ。

しかしお酒との関わり方に関しては、しっかりと自分の意思を持っていたいものです。

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