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獺祭が人気の理由|旭酒造の苦難の歴史とは

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2ヶ月位前のことですが、学生や宴会向けの安い居酒屋に行った時のこと。

壁に貼られた『獺祭(だっさい)あります』の文字を見て驚きました。

え、こんなところでも飲めるの!? と。

 

あからさまにそこだけ、安居酒屋ではないお値段。

一合で1500円くらいしていたと思います。

飲み会の席(割り勘)だったため、注文はしませんでしたが……。

 

ちなみに獺祭が高い理由は至極真っ当なものです。何故なら純米大吟醸酒しかないから!

純米大吟醸酒は、獺祭のみならず、日本酒の中で一番グレードが高いものです。

>>>日本酒の種類が深すぎる!!【違いの分かる】酒飲みになろう!

 

いやぁ、しかし驚きました。

獺祭が高いのは知っていましたが、それ以上に「手に入らないもの」「出回らないもの」と勝手に思い込んでいたからです。

 

流通について調べてみると、一時期よりも大分、落ち着いて手に入りやすくなっていることに気付きました。

それどころか、すごくユニークな獺祭も発見してしまったのです!

 

特に、私のように色眼鏡で見ていた人には、是非知って欲しい。

  • そんな造り方が!?
  • そんな理由が!?

とワクワク出来ますから♪

 

話題のお酒だけど、どれを選んだらいいのかわからない人や、プレゼントで迷っている人。

日本酒にあまり馴染みがない人も、ちょっと立ち寄ってみて下さい。

獺祭の人気の理由や、評判の良さに納得できるかもしれません!

というわけで、
獺祭が人気の理由|旭酒造の苦難の歴史とは
をお送りします!

>>>獺祭【人気の火種】はエヴァ×安倍総理にあった!名前の由来は一体・・・?

 

 

年商100億円超え!倒産寸前から始まった旭酒造

「獺祭」を造っている旭酒造についてお話します。

社長の経営手腕が話題になり、ドキュメント番組(カンブリア宮殿)でも取り上げられた酒造会社です。

日本酒自体に興味がない人でも、獺祭が生まれた背景や、経営方針を楽しめるかもしれません。

 

旭酒造の経営難が獺祭を産みだした

日本酒の国内での消費率は年々右肩下がりです。

1975年が消費のピークで、その後回復しないまま、35年で、なんと3分の1まで落ち込みました。

ピーク時は全国に3000以上あった蔵元が、半数以下まで廃業してしまっています。

 

今でこそ獺祭で注目を集めている旭酒造も、その煽りを受けていた時期があります。

1984年、旭酒造の社長の桜井氏が34歳で父親の後を継いだとき、事実上の倒産状態、廃業寸前だったといいます。

その当時の売り上げは、前年比85%(9700万円)だったそうです。

 

2016年の決算(9月期)で、108億の売上高を誇る酒造会社とは、とても思えませんよね。

特に2016年は前年と比べ、倍近い売上高を計上しています。

 

そんな旭酒造は、山口県の岩国市にある蔵元。

桜井氏が継いだときは、岩国4番手と言われ、規模も小さい蔵元でした。

 

その頃の旭酒造の主戦力は『旭富士』という銘柄の普通酒です。

悪化していく業績に対し、桜井氏は「なぜ売れないのかを突き詰めて考えた」と言います。

求められている酒は、『酔うため売るための酒 』 ではなく、『味わう酒』ではないのか。そのためには酒の質を追い掛けていくしかないんじゃないか、と思うようになった。それが大吟醸酒だった。

「獺祭(だっさい)」で日本酒の活路を開いた「山口の小さな酒蔵」——旭酒造より引用

 

この考えの元、完成したのが純米大吟醸酒「獺祭」です。

 

容易ではなかった大吟醸酒への道

吟醸ブームと呼ばれる現代。

吟醸、大吟醸はどれも似たような味、なんていう声もあります。

 

しかし、獺祭が販売されたのは1990年。

今から27年も前のことです。

※2017年11月現在より数えて。

 

しかも当時の旭酒造は、吟醸酒を造ったことがなかった!

旭酒造は規模こそ小さかったものの、江戸時代から200年続く酒蔵です。

それでも、吟醸酒は初めての取り組み。

しかも目指しているのは「純米大吟醸酒」です。

 

獺祭は、6年もの時をかけ、試行錯誤を繰り返した末に完成したのです。

 

その時代に「量よりも質」を掲げ、吟醸酒を造りに取り組む。

業績は不振なままなので、成功しなければ壊滅的な打撃を受けていたかもしれません。

 

獺祭は完成しましたが、それだって売れなければダメですよね。

純米大吟醸酒は、原価も高く、コストもみっちり詰まっています。

 

桜井氏は、地元では食っていけないと考えて、東京進出を図り、ドブ板営業から始めたと言います。

「獺祭」を一躍スターダムにのし上げた手腕は、見事という他はないでしょう。

 

ちなみに1990年に販売された獺祭は、精米歩合50%と45%のもの。

旭酒造は、日本で最高の精米歩合による、酒造りを目指し……。

1992年には『獺祭 磨き二割三分』を販売。

今や獺祭の看板になっています。

当初かかった7日間(168時間)という精米時間は、今もほとんど変わりがないそうです。

 

地ビールの大失敗が、今の旭酒造を造った

獺祭が軌道に乗り始め、順調に思われた1998年、旭酒造は再び倒産の危機を迎えます。

 

その頃の酒蔵では、一般的に杜氏を棟梁とした蔵人が酒を仕込んでいました。

酒造りは農家の出稼ぎで賄われていました。

蔵元はその酒を販売する側です。

 

ですが農村の高齢化が進むにつれて、杜氏制度の存続が危うくもなっていき・・・。

酒造りは冬の仕事であるため、正社員として若手を雇おうしても、夏は仕事がありません。

 

その解決策として手を出したのが地ビールとレストラン経営です。

当時は地ビールに参入するなら、『飲食店を持たなければならない』という決まりがあったのです。

 

夏は地ビールを造り、冬は日本酒を造れば、若い人を雇える。

将来的に酒蔵が自社で生産する形がとれると目論み……

 

結果は大失敗。

当時の年商と同等の1億9千万の損害です!

 

それにより、経営危機説が流れ、杜氏が翌年酒造りに来なかったのだとか。

桜井氏は、数日後「自分たちで造る」と決断し、杜氏制度を廃止します。

酒造の社員と共に酒造りを開始し、結果としてそれが功を奏しました。

 

冬だけでなく、1年を通して造る四季醸造も始めます。

生産量も上がり、品質上の問題にもすぐに対処できるようにもなっていきました。

 

地ビールの失敗を受け、桜井氏は、こう語りました。

「何よりもやっぱり酒蔵をやりたい、酒蔵で成功することが一番やりたいことだと思い知った」

 

通人だけがわかる美味しさは要らない。

誰が飲んでも美味しい酒を造ることを理念とする旭酒造。

現在は磨きだけでなく、違った方向からアプローチをし、様々な獺祭のスタイルを見せています。

>>>獺祭14種類ランク&値段の違いまとめ|おすすめ人気銘柄と最高級品『遠心分離』とは

 

まとめ

あの獺祭が倒産の危機にあったとは、とても今では考えられないことですよね。

エヴァや安倍総理の後押しもありましたが、今後とも人気を持続していって頂きたいものです。

>>>獺祭【人気の火種】はエヴァ×安倍総理にあった!名前の由来は一体・・・?

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